ウマル・イブヌ=ル=ハッターブの息子、アブー・アブドッラフマーン(アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ)の権威による。彼は伝えている。 私はアッラーの御使い(アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ)がこう言われたのを聞いた。

イスラームは5つの〔柱の〕上に建てられている。つまりアッラー以外に神はなく、ムハンマドがアッラーの使徒であると証言すること。ならびに礼拝を行ない、喜捨を払い、〔アッラーの〕家に巡礼し、ラマダーン月に断食することである。

サヒー・ムスリム、サヒー・ブハーリ

イスラームとは

イスラム教では啓示された通り礼拝をしたり生活したりするように命じられている。クルーンとハディースから学べることをベースに生きるということだ。その啓示の順番としてはもちろんユダヤ教とキリスト教の時代に啓示されたメッセージの後に来たわけで、最終的で包括的なメッセージだ。

かれは真理をもって,あなたに啓典を啓示され,その以前にあったものの確証とし,また(先に)律法(モーゼの5章)と福音(イエスの福音書)を下され、この前にも人びとを導き,(今)また(正邪の)識別を御下しになる。

クルアーン3:3

イスラムでは礼拝だけでなく、普段生活の知識も多く教えられる。清潔、人間関係、マナー、家族、政治、経済、健康、食事、科学、教育… 本当に幅広いトピックについての教えが多くあるが、まず最初に覚えて身につくべきなのは5行と呼ばれる中心的な礼拝行為でしょう。他は少しずつ学びながら生活に取り入れれば良いと思う。

今日われはあなたがたのために,あなたがたの宗教を完成し,またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし,あなたがたのための教えとして,イスラームを選んだのである。

クルアーン5:3

有名な五行を一つずつ簡単に紹介させていただきます:

シャハーダ(信仰告白)

シャハーダはイスラム教の信仰告白の言葉だ。ムスリムになるというのは非常にシンプルなことで、心底信じた状態でシャハーダを口にするだけで済む話だ。コミュニティーに入って支えをもらうためにモスクでシャハーダを言う人が多い:

アシュハドゥ アンラー イラーハ イッラッラー
私はアッラーのほかにイラー(崇拝の対象)はないことを証言します。
ワ アシュハドゥ アンナ ムハンマダン ラスールッラー
また、私はムハンマドがアッラーの使徒であることを証言します。

シャハーダの前半で全知全能唯一絶対の創造主アッラーのみ礼拝すべきだと教えられる。イスラム教では人間、動物、自然のもの(山・海・月・太陽など)、霊、悪魔、アッラー以外の神、そして飲食のできない人に作られた偶像を礼拝すること強く禁じられている。

アッラーかれの外に神がないことを立証なされた。天使たちも正義を守る知識を授った者もまた(それを証言する)。偉力ならびなく英明なかれの外に,神はないのである。

クルアーン3:18

ラー イラーハ イッラッラー(礼拝すべき神一つしかない)ということを認めて口にするとメリットが非常に多いので、創造者を信じている方は是非一人の時にでも言ってみてください。

後半では歴史最後の預言者モハマド(彼にアッラーの平安あれ)は礼拝すべき神ではなく、礼拝と生き方の正しい手本を見せてくれた、そしてアッラーの言葉であるクルアーンを伝えてくれた人間のメッセンジャーでいることを教える。シャハーダの前半両方を心の中で認めている方は是非一人の時にでもシャハーダを言ってみてください。

アッラーと使徒に従いなさい。そうすればあなたがたは,慈悲を受けられるであろう。

クルアーン3:132

サラート(礼拝)

サラート(礼拝)は毎日5回決まった形で行う義務のお祈りのことだ。非常に大切な礼拝行為で、ムスリムとムスリムでない人の間にサラートがあると言える。その5回の礼拝は決まった時間帯に行う。

  • ファジュル(早朝の礼拝)
  • ズフル (正午過ぎの礼拝)
  • アスル(遅い午後の 礼拝)
  • マグリブ(日没後の礼拝)
  • イシャー(夜の就寝前の礼拝)

多くのモスクではそれぞれの礼拝の時間帯が始まった時にアザーン(礼拝へ誘う言葉)を唱える人がいる。その例の一つはこちらです:

サラートするたびに必ずクルアーン1章目の7節をアラビア語で唱える:

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
万有の主,アッラーにこそ凡ての称讃あれ,
慈悲あまねく慈愛深き御方
最後の審きの日の主宰者に。
わたしたちはあなたにのみ崇め仕え,
あなたにのみ御助けを請い願う。
わたしたちを正しい道に導きたまえ,
あなたが御恵みを下された人々の道に,
あなたの怒りを受けし者,
また踏み迷える人々の道ではなく。

クルアーン1:1-7

お祈りの時に唱えるクルアーンの1章目のアラビア語はこちらです:

クルアーン1章目を唱えた後は他のクルアーンの章・説を唱えたり、決まった姿勢で決まった言葉を言ったり、決まった言葉や自分の言葉でお願いごとしたりする。終わった後に ジクルする人が多い。ジクルというのはは決まったフレーズを繰り返したりしてアッラーのことを覚えることで、日本で行われている瞑想や読経に近い行為だ。

もちろん義務付けられている5回のサラート以外もお祈りしても良くて、強く勧められている。一般的には義務のサラート前後に行うスンナ礼拝や夜に行う礼拝が多い。

ザカート(喜捨)

ザカート(義務のチャリティー)は日本語で喜捨(きしゃ)と呼ばれている。イスラム教では金銭的な余裕を持っている人々があげるザカートは貧しい人々の権利だと教える。決して大きな負担ではなく、税金よりはるかに少ない額の話だ。具体的にいうと1年以上持っている貯金に対して2.5%だ。ここでいう「貯金」というのは生活費や借金を引いた後の額で、二サーブ(70グラムの金の価値)以上の貯金に対いての額だ。

日本円でいうと今年の二サーブは44万円くらいだ。簡単な例をあげると、借金が無くて50万円の貯金を1年以上まったく触ってない状態でいるムスリムは44万円の二サーブ以上の分(6万円)に対して2.5%のザカート(1500円)を人を助けるために使うべきだ。負担になるようなはずないが、それでも世界の人々全員がザカートを払っていれば貧しい人がいなくなるのは事実だ。

あなたがたのの御赦しを得るため,競いなさい。天と地程の広い楽園に(入るために)。それはを畏れる者のために,準備されている。順境においてもまた逆境にあっても,(の贈物を施しに)使う者,怒りを押えて人びとを寛容する者,本当にアッラーは,善い行いをなす者を愛でられる。

クルアーン3:133-134

イスラム教では団体としてザカートを集めっているわけではない。ザカートは基本的に自分の周りにいる貧しい人や困っている人に直接あげるべきだと教えられる。ザカートを集めて必要としている人に広める許可を取っているチャリティー団体もあるが、心配な場合は一生ずっと自分で直接人に渡して全くかまわない。なぜならその義務はモスクじゃなくてアッラーが把握して管理しているからだ。

義務以外のチャリティー(アラビア語でサダカー)はもちろん勧められている。サダカーをあげることは多くの罪を覆うということがハディースで書いてある。

ハッジ(巡礼)

ハッジをすることは決まった時期にサウジアラビアにあるマッカに行って、カアバという場所の近くで決まった形の礼拝をすることだ。日本語で巡礼(じゅんれい)とも呼ばれる。ハッジのやり方の詳細まで簡単に紹介したい気持ちはあるが、まだ詳しくないので今は書くのは控えます。

アッラーの家を訪れるというのは非常に大きな恵なので、 金銭・物理的な余裕が出たら早めに行くべきだ。行ける余裕がまだない時はアッラーの助けを求めるのが一番の近道でしょう。

サウム(断食)

ラマダン中といえば断食のシーズンだ。もちろん1か月丸ごと食べないという話ではない。断食は太陽が昇ってから下がるまで飲食をしないことで、飲食の他に人のうわさ話をしたり嘘をついたりすることも避けるべきだと教えられる。

断食することによって貧しい人のことを覚えて身をもって理解し始められるメリットもあるが、本当の目的はアッラーに近づけることだ。良い行いの中で唯一他人が見ることできない行為だから貴重な礼拝方法だ。

ラマダーンの月こそは,人類の導きとして,また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である。それであなたがたの中,この月(家に)いる者は,この月中,斎戒(さいかい:断食)しなければならない。病気にかかっている者,または旅路にある者は,後の日に,同じ日数を(斎戒する)。アッラーはあなたがたに易きを求め,困難を求めない。これはあなたがたが定められた期間を全うして,導きに対し,アッラーを讃えるためで,恐らくあなたがたは感謝するであろう。

クルアーン2:183

体力的に断食が困難な場合(子供、妊娠・母乳・月経中の女性、持病を持っている人、重い風邪を引いた時、年齢が上がって無理が出てきた人など)は余裕が出た時に断食すべきだ。そして次のラマダンまでに余裕が出ない、または完全に断食ができない方は1日の断食の代わりに貧しい人に1食分の食事を与える義務があるとクルアーンとハディースで教えられる。

礼拝をする理由

人生の目的というのは自分の欲望を果たしたり幸せになったりすることではなく、創造してくれたアッラーに感謝して礼拝することだ。礼拝することによって満喫した生活にはなるが、例え私たちに何もメリットが無かったとしても、アッラーは礼拝すべき存在でいることに変わりはない。礼拝して正しく生きることによって現世でも来世でも恵まれるというのは多きな慈悲であることを忘れないで感謝して生きるべきだ。

あなたは見ないのか。アッラーは地上の凡てのものをあなたがたに従わせ,かれの命令によって,船を海上に走らせられる。また天をかれの御許しなく地上に落ちないよう支えられる。本当にアッラーは人間に,優しく慈悲を垂れられる御方である。

クルアーン22:65

好きなものを他人にあげたり(ザカート)我慢したり(サウム)すること、そして体を持って努力すること(ハッジ・サラート)によってイスラムの道を歩むことが出来る。

…本当にアッラーの慈悲は,(常に)善行をなす者の近くにある。

クルアーン7:56

義務の礼拝は苦労をさせるためのものではなく、人間の生活・考え方・性格を成長させるためのもので、例外的なルール(月経中に礼拝しないこと、持病を持ちながらの断食をしないこと、旅行中に礼拝を短縮すること)が多い。 イスラムのディーン(信仰生活)は負担になるような生き方ではなく、人間たちに安らぎを与える道だ。

アッラーの(道の)ために,限りを尽くして奮闘努力しなさい。かれは,あなたがたを選ばれる。この教えは,あなたがたに苦業を押しつけない。

クルアーン22:78

最初の印象だとルールが多くて大変に見える人は少なくないと思うが、イスラムのそれぞれの教えを実際に少しずつ自分の生活に入れてみると心が平和になるし、性格を成長させるための良い訓練になるから、身をもって体験することを是非おすすめしたい。

…梅悟(かいご)して信仰し,善行に動しみ,その後(正しく)導かれる者には,われは度々寛容を示す。

クルアーン20:82