信者たちの長、アブー・ハフス・ウマル・イブヌ=ル=ハッターブ(アッラーよ彼を嘉したまえ)の権威による。彼は伝えている。私はアッラーの御使い(アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ)が言われるのを聞いた。

行為とは意志にもとづくものであり、人はみな自らの意志した事柄の所有者である。したがってアッラーとその御使いのために聖遷に参加した者は、アッラーとその御使いのために聖遷を行なったのであり、現世の利益、結婚相手の女のために聖遷に加わった者は、それらのために聖遷を行なったにすぎない。

サヒー・ブハーリ、サヒー・ムスリム

このハディースではニーヤ(意志・心持ち・心構え)の大切さについて教えられる。ニーヤというのは心の行いの一つだ。(その他の例としては信仰を持つこと、アッラーに頼ること、アッラーを愛することがある。)アッラーは私たちの心の中にあること全て分かっているから、ニーヤは言葉で表して口に出す必要がない。

言ってやるがいい。「あなたがたが胸の中にあることを,隠してもまた現わしても,アッラーはそれを知っておられる。かれは天にありまた地にある一切を知っておられる。アッラーは凡てのことに全能であられる。」

クルアーン3:29

ニーヤというのは曖昧な願い事ではなく、正直に決心した状態で、何かの目的のために具体的な行動を取ることに繋がるような意志のことだ。例えば 「いつか旅行にでも行けたらなぁ~」という気持ちではなく、チケットを買ったり荷造りしたりするような心構えだ。

何かをするニーヤがある人は、できなくさせることやニーヤの変更が無い限りは実際にそのことをする。最後の最後に辞めた場合は、最初からニーヤが無かったと言える。

「行為とは意志にもとづくものであり」

イスラムでは、ニーヤという言葉は礼拝の話をする時によく使われる。何かの行動を礼拝としてアッラーに認めて頂くのに、2つの条件があると教えられる:

  1. アッラーのみのために行うニーヤがある。
  2. 預言者モハマド(彼にアッラーの平安あれ)の手本に基づく行動である。

たまたま手を洗ったとしても、洗う前に「お清めしよう」というニーヤが無ければ、お祈り前のお清めしたことにはならない。また、お清めしようと思って、預言者モハマド(彼にアッラーの平安あれ)の手本を無視して自分の好きなやり方で洗うことも認められることはない。正しい心構えで教えられた形で礼拝するのが基本だ。

本当にアッラーの使徒は,アッラーと終末の日を熱望する宕,アッラーを多く唱念する者にとって,立派な模範であった。

クルアーン33:21

「全ての礼拝行為はアッラーのみを喜ばせるために行うべきである」という教えは、決して新しくない。イブラヒム(キリスト教ではアブラハム)、モーゼ、イーサ(イエス様)、全ての預言者たち(彼らにアッラーの平安あれ)は同じことをを伝えるために努力していた。

かれらの命じられたことは,只アッラーに仕え,かれに信心の誠を尽し,純正に服従,帰依して,礼拝の務めを守り,定めの喜捨をしなさいと,言うだけのことであった。これこそ真正の教えである。

クルアーン98:5

礼拝の行為だけではなく、人生のほとんどの行為には何かのニーヤがある。 正しい意志を持つだけで日常正しく振舞うことも礼拝の一部として認められる。アッラーを喜ばせるために行うニーヤを持って、イスラムの教えに基づいた行動であれば、たとえ寝ることや食べることも礼拝の一部になる。

人はみな自らの意志した事柄の所有者である。

イスラムでは、アッラーからの報酬や罰はニーヤによって与えられるものだと教えられる。アッラーのみのためにクルアーンを全て覚えようというニーヤを持って、毎日少しずつ勉強している人が覚える途中で亡くなったとしても、その報酬をニーヤのまま与えられる。また、他人に褒められたくて礼拝する人の行為は残念ながら自己満足で終わってしまう。

しかし誰でも来世を望み,それに向かい精出し努力し,信仰する者,これらの者の努力は嘉納される。

クルアーン17:19

ニーヤは自分の力の範囲の行為だけでなく、出来ないことにも使える。例えば、「今は手元にお金が無いが、もしあったら孤児を助けるために使う」いうニーヤを持つことができる。最終的にお金が手に入らなかったとしても、そのニーヤは報われる。

善いことへの報いは,善いことでなくて何であろう。

クルアーン55:60

アッラーを喜ばせるために正しく振舞う心構えを持つことがとても大切だ。また、アッラー以外の評価を求めることは避けるべきだ。自分のニーヤをより純粋なものにさせたい時はアッラーについての知識を増やしたり、想像された自然や自分が与えられた恵について考えたりすると良いでしょう。

「アッラーとその御使いのために聖遷に参加した者…」

聖遷(せいせん)はアラビア語でヒジュラといって、移住のことを示す。預言者モハマド(彼にアッラーの平安あれ)が生きていた時代には、ムスリムたちが酷い迫害にあったため、メッカからメディナへ移住しないといけなかった。

幸い、現代は実際に移住する必要のある人は少ないが、全員のムスリムには心のヒジュラをする必要がある。心のヒジュラは何かというと、 忍耐を持ってシルク(アッラー以外のものの神各化)、アッラー以外をおそれたり信頼したりすること、 そして罪・悪い行いのある生活をアッラーに従う生活に変えることだ。

言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。 アッラーは、自存され、御産みなさらないし,御産れになられたのではない。かれに比べ得る、何ものもない。

クルアーン112:1-4

ディーン(信仰生活)の土台は全ての行為に正しいニーヤを持つことだ。意識して常にニーヤを考え直すことを習慣にすると礼拝はもちろん、そして食べること、働くこと、勉強することも全てアッラーに喜ばれる行為に変えることができる。 正しい振る舞い方は何であるかを知るための知識を増やし、礼拝と日常生活の全ての行為をアッラーを喜ばせるために行う純粋なニーヤを持つようにしましょう。